HSP人生どん底30才独身女が子犬を迎えてみた結果。。

HSP、鬱病、引きこもりの人生に突然真っ白な子犬が現れたら。

HSPの私が思う「孤独とは最高の贅沢」

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小学四年生の時、転校した日の事を思い出す。

小さな団地に家族4人で暮らしていた私たち家族は、弟が生まれたことをきっかけに田舎の一軒家に引っ越すことになった。

 

向かいの塔の団地には同い年の友達がいて、毎朝一緒に登校していた。

 

引越しの当日、ボロボロの引越しトラックに荷物を積んでいるとその友達がやってきて、小さな花束と手紙をくれた。

 

すごく無口な友達で、小学一年の頃から毎朝一緒に登校したのに、話したことがあるのは数回っていうすごく不思議な友達だった。

黒目が真っ黒で、背が高い女の子だった。

 

実は私はその子との登校時間が好きだった。

 

おはようの言葉もなく、いつもの電柱の前に毎朝同じ時間にその子が待っていて、

なんとなく合流してなんとなく歩き出す。

 

無言でただただ歩くその時間。

 

私から話しかけてもよかったのだが、子供の頃の不思議な感覚で

初めて一緒に登校した日に一言も喋らなかったらそのままずっと喋れなくなってしまったのだ。

 

けれど私はいろんなことがわかった。

 

彼女の機嫌が今日はいいとか悪いとか

今日はいつもより眠いみたいだ とか

今日は寄り道あり で、 桑の実をとるな。 とか。

 

ただただ一言も話さずに、歩幅を合わせた。

 

小学1年から4年までの毎朝こんな感じだったんだから本当変だ。

 

 

話は戻るが引越しの当日、そんな彼女が小さな花束と手紙を渡しにきた。

確かその時も無言で、記憶の中では少しだけ涙目だったように思う。

 

バイバイと手を振った後、私は車内で彼女からの手紙を読んだ。

繊細な字でこう書いてあった。

 

「もっと喋りたかったな。元気でね!」

 

 

 

花束の花は確か黄色だった気がする。

私は確か少し泣いた気がする。

 

両親は私には目もくれず別の話題で盛り上がっていて、私は窓を開けて外の空気を頬に浴びた。

 

大人になった今も思い出す。

 

彼女は孤独を共有できた人生初めての友達だったように思う。

 

あの頃の自分には想像もできない大人に今の私はきっとなっていることだろう。

 

だって、背が伸びたりだとか、年相応の人生経験だとかを省いたら大まか何も変っちゃいない。

子供の頃の私は、月並みだが大人の女性というものにもっとキラキラとした憧れを抱いていた。

 

派手な親友3、4人といつも週末は誰かの家に集まってワインを選びながら映画を見るようなよくあるリア充な未来しか想定していなかった。

ところがどうだろう。

田舎の実家に舞い戻り、節約DIYでカフェのように自己満足な部屋に改装し、お気に入りのアートを収集しながら白い子犬と暮らしている。

 

特に誰も招くこともなく、毎日の日課は畦道を子犬と散歩。

 

30才にしてこんなに静かな日常を過ごすことになるとは思ってもいなかった。

 

けれどこれが私が30年間集めてきたお気に入りの詰め合わせなのだ。

悪くない。  そして今日もひとり 明日もひとり と孤独に怯えながら、

誰よりも孤独に恋してやまない。   子供の頃となんら変わらない。

 

毎朝一緒に通学した、あの友達は今どうしているだろう。

 

思えば今まで出会い別れてきた人たちに今こう思う。

 

「もっと喋りたかったな。」

 

 

心模様なんて顔をみたらすぐにわかる。

 

そんなことはわかりきっている。

 

けれど”言葉を交わす” という 上っ面で、表面的で、くだらなくて、暖かい行為を

もっとしてくればよかったかなとも思う。

 

そしてよく周りを見渡してみれば、たくさんの人がいる。

 

そんな中で孤独を感じて、一人きりになれる私は最高に贅沢。

 

小学生の頃の彼女との通学路。 二つのおんなじような孤独が毎朝並んで歩いた。

 

その時間に数えた花の数は何千本だろう。 息を止めて歩いた電柱は何本だろう。

 

最高に贅沢だ。 

 

孤独なのにひとりじゃない。

 

贅沢だ。

 

そんな事を思い出した、今夜でした。